2000年12月18日施行
第7条
美しさが速さやドラテクをイメージさせる
サーキットではとても大切なクルマの美しさ
[美観]
クルマを綺麗にすること、洗車することは極めて当たり前で身近なことである。ただしクルマを趣味とする多くの方々にとって、美しさの価値観というのは手入れの行き届いた綺麗なボディだけではない。次々と新型車を買うとか、簡単に手に入れることの出来ないレアなクルマ、価格的に普通には買うことの出来ないクルマなどは例外としても、少なからずクルマ好きとして外観や内装には個性を主張するものだ。分かりやすくするためにサーキットという特殊な場所での話になるが、ピカピカに磨きこまれて人目を引くようなクルマ、インチアップされたロープロファイルタイヤでも、サーキットという特殊な場所を走っていると全く目立たない。レースシーンをテレビで観たことのある方なら理解できるだろう。同じことはドライバーにも当てはまる。普通のクルマでただ走っているだけでは人目を引くことはまず出来ない。ドライバーの持つドライビングテクニックを主張する方法のひとつがドリフト。ドリフトがドラテクアピールとして有効なのは、誰にでもわかりやすいからだ。ラップタイムが「速いか遅いか」の場合、速いクルマに乗ればそれなりに速いタイムが出てしまうので、クルマのメカに詳しくない場合にはドライビングテクニックの判断は意外に難しい。ドリフトは誰の目にも明らかにクルマを巧みにコントロールする姿。自分のドラテクをアピールするには有効な手段である。第6条で書いたように、端から見たドライビングの巧さ、カッコよさなどはある程度主観の部分でもあるから、自己満足の範囲で充分なのだが、「ドライビング」の世界にどっぷりハマると、カッコよさはとても重要な価値観になってくる。時には速さの基準がカッコよさであったりするのだから。
サーキットの中では奇麗にカラーリングされたクルマがカッコよく見えるのが普通だが、そのイメージさせるものは速さなのだ。走りだせば実態がバレてしまうが、走り出すまでは見た目の美しさは速さを象徴する。実際にレースの世界ではクルマが汚いことは考えられない。一部のレース底辺カテゴリーでは、クラッシュの補修代が出ないためにボディが凹んだままレースに出走していたり、塗装やカッティングシートの施工が間に合わないままだったりする姿も見かける。しかしながら一般的にはトップを走るクルマはカッコよく美しいものだ。全日本クラスのレースやステップアップカテゴリーのワンメイクレースなどでは、クルマが汚なければ、言いかえればカッコ悪ければ、そのチームやドライバーの評価は下がる。ギャラリーがサーキットで見たいのは、美しくて、カッコよくて速いクルマであると思って間違いない。現実的にレース用マシンの場合には、見た目の問題だけでなくマシンメインテナンスの基本は掃除だったりする。掃除を通して、クルマのコンディションをチェックしていると言ってもいい。例えばエンジンルームが汚れていたら、オイルリークの発見が遅れる。サスペンション周りが汚れていたら、ボディのクラックやショックアブソーバーのトラブルが発見できない。ピロボールを使用したサスペンションだったら、走行する度に掃除が必要である。日常的に乗るクルマであれば無縁な話ではあるのだが。こうして考えてみると、サーキットではクルマを見てもらう事が「ドライビング」の楽しみ方として、テクニックやラップタイムの追求と同じに扱われてもいいのではないかと思うのである。
ではドライバーについてはどうなのだろう。外からでは見えない「ドライビング」そのものの本質的カッコよさとは何なのだろう。ドライバーの動きではなく、クルマの動き方で見せるしかない。さて、そろそろ様々なドライビングテクニックに踏み込んでゆくとするか。