巨大クルマサークルの正体

巨大クルマサークルへの招待


今は閉鎖されてしまった那須モータースポーツランドのパドックにて

1985年のこと。「1万人が ひとり1万円ずつ持ち寄れば、みんなのサーキットが出来る!」とブチ上げた。
場所は箱根大観山山頂の駐車場、深夜1時。そこには雑誌「オプション」の読者1000人が集結していた。
それ以来、若さで突っ走り色々なことを起こした。
夢の島公園の駐車場に300台以上を集めて「ワンナイトクラブ」なるコマ地図ラリーを行い、駐車場に入りきれない車両で明治通りは大渋滞。地元警察署に連行されて7枚目の始末書を書いた。
巨大クルマサークルの基盤を築くために開催した「車楽人フェスティバル」は幕張メッセに約3万人を集めるも、事業的には大失敗。
3年半に渡り編集長を務めた、日本で唯一のサーキット専門雑誌「スピードマインドR」「Racing Technic」の廃刊と出版社の廃業。
いま残されているのは、日本一のサーキットスポーツ集団を目指す「車楽人アソシエーション」
ドラテク集団「WARP」
20年以上、ひと時も変わらなかった理想は巨大クルマサークル。クルマで走ることを自由に楽しむ集団のこと。

(2000年執筆、2007年に加筆)

91年に千葉県幕張メッセで開催の「車楽人フェスティバル」。開催2日間での総入場者数は約3万人。車楽人アソシエーションは「サーキット走行会協同組合」なのですが、元々は「車楽人フェスティバル」を開催するための団体だったのです。テレビ東京との共同開催、FMサウンド千葉の協賛をいただき、巨大クルマサークルの基盤となるはずでした。
中央はすでに一児の母となってしまったノリピー、右は絶好調売出し中だった土屋圭市センセーです。車楽人フェスティバルの「車楽人ステージ」には欠かすことの出来ない方々でした。



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