2001年01月31日施行
第14条 プロレーシングドライバーの環境
97年エビスドリフト夏祭り ドラテクの部分的局面ではプロとアマに隔たりはなくなっている
[プロレーシングドライバーを育てるのは環境]
世間で様々なマスコミのネタとなる宗教と一緒にされてしまうと心外だが、人にはそれぞれ持って生まれたポテンシャルがあると思う。それを引き出すのはほとんどの場合、本人ではなくて出会った人、周辺の人々である。「惚れられる人間になること」これにつきる。なぜ惚れられるのか、これが大切。自分が人に惚れる要因を考えてみれば、意外と答は簡単なはずだ。
プロレーシングドライバーと名乗りはじめたときから、その人は一般的には「運転がうまい人」「スピードに強い人」「度胸のある人」と認識される。スポンサーは多くの場合は普通の人だから、レーシングドライバーと名乗るからには速く走れることは当たり前と考えているのだ。では次に求められるのは、大切なマシンを壊さないドライバーであること、人間的に評価できるドライバーであること等だろう。では速くて、壊さなくて、人間性に優れたレーシングドライバーがスポンサーからレース活動の資金を援助してもらえることが決まったとしたら、そのドライバーはプロレーシングドライバーなのだろうか? 正しくは「プロドライバーとしての自覚を必要とするレーシングドライバー」ということになる。そのドライバーがスポンサードを受けたのと同じ金額以上を自力で用意したライバルのレーシングドライバーとレースで競い合った結果、負けてしまったとしたらどうなるのだろう? また負けなかったとしても互角の戦いであったとすれば、高額のレース費用を負担したスポンサーは、そのライバルに対してどのような感想を持つのだろう? スポンサーと同等の資金力(レース参戦に対して)を持ち、自分がスポンサードしたレーシングドライバーと同じ実力を備えるドライバーである。
それほど強力なライバルを相手に、スポンサーに対してライバル以上に自分をアピールすることが出来て、引き続きスポンサードの約束を取りつける事が出来た時こそプロレーシングドライバーとなった瞬間である。そうなれば、スポンサーからドライバーとして選ばれた理由がレースの勝敗や経済的理由だけではない事は明白である。
レーシングドライバーのドライビングテクニックの優劣を明確にすることが難しいのであれば、第3者であるスポンサーから認められる人材となれる決め手はドライバーの背景にある環境である。雑誌などの媒体を通じて一般大衆から多くの支持を受けており、スポンサー企業のイメージアップに貢献できるドライバー、商品開発力に優れておりスポンサー企業の商品開発をバックアップできるドライバー、スポンサー企業の社員や株主・取引先・顧客などから支持される素養を持つドライバー、そしてレース本番(たとえばスポンサー企業の関係者がサーキットに足を運んでくれたレース)において期待に応える結果が出せるドライバー等など。
そういったドライバーを育てるのは環境なのだ。人格は家庭で形成されるが、その後プロレーシングドライバーとしての素質を伸ばせるかどうかを決定するのはレーシングドライバーとなってからレース活動を続ける環境にかかっているのである。最終的には、才能あるレーシングドライバーをプロとして活動させるためのマネージメント(芸能人でいうところのプロダクションやレコード会社)組織が必要になるのである。