巨大クルマサークルは
時代的背景で突き進みました
チューニング系とRV系
「OPTION」が「不法改造」を「チューニング」として新しいトレンドに育て上げる一方で、4WDを中心としたRVがクルマ業界を席巻するようになってくる。 世間はバブル絶好調で、まさにイケ行けムードに満ちあふれていた。峠のワインディングロードで黒煙をまき散らしながらスポーツカー(スポーティカー)の行く手を阻むRVに反感を感じるような跳ね返りなところもありながら、クルマ業界の端くれとして仕事をするようになった自分は、時代的に「走り屋」と「RV族」の対極化を感じ取るようになる。 89年から本気でサーキットスポーツに打ち込むようになった当時、クルマ文化を省みればRVやインポートカーの台頭も無視することが出来ない事を実感していた。 バブル経済を後ろ楯に不動産投資を絶対視していたために、いかなるリスクをも恐れなかった事が幸か不幸か、巨大クルマサークルという発想を具現化させた。 90年初旬には「ヒトとクルマのNewBeing」をコンセプトに、走り屋とRV族の融合を真剣に考えるようになる。 「OPTION」を後ろ楯に、クルマ好きのコミュニケーション手段となったステッカーと「ワンナイトクラブ」なるクルマ好きミーティングに絶対的な自信を持ち、飛ぶ鳥を落とす勢いで有頂天となっていた頃。失敗すること、ましてやバブル崩壊なる経済変動が起こることなどあり得ないと信じていた。 クルマ好き同志のコミュニケ−ション手段が雑誌やイベントしか考えられなかった当時、発想はクルマ好き同志のミーティングを開催するという安直なものになった。 最初の構想は「クルマサミット」。あらゆるクルマ好きをひとつに束ねるクルマサークルのトップたちが、一同に会するという考え方。先進首脳7ヶ国で国際経済問題を協議する事を目的に開催されていた「サミット」にあやかったもの。最近開催された「沖縄サミット」のクルマバージョンを発想した。 相応しい会場は当時日本一のイベントスペースだった幕張メッセ。ただしサミットではあまりにも堅苦しいと考え直し、名称は「車楽人フェスティバル」へと変貌してゆく。ようやくフジテレビがF1事業に真剣に取り組むようになった頃の事。以前から「富士グランドチャンピオンシップ」をテレビ中継していたテレビ東京をビジネスパートナーに選ぶことに全く躊躇はなかった。 |