巨大クルマサークルの夢再び
サーキットスポーツの台頭
悪夢の時代は続いたが、バブル崩壊による日本経済の失速と反比例するかのようにサーキットスポーツはポピュラーなものになってゆく。 地価下落によりサーキット用地の取得価格が下がり、新たなサーキットが作られ、一方でスポンサー撤退により冬の時代を迎えたレース業界は、レースをより大衆に身近なスポーツイベントに育てるために、市販スポーツカ−をベースとしたGT選手権をスタートさせた。GTカーのイメージはそのままスポーツカーユーザーに自然なカタチで受け入れられ、スポーツカーにとってサーキットを身近な場所へと変えてゆく。 その過程で、ナンバー付車両によるスポーツ走行を禁止していたサーキットでも規制緩和の風潮から次々とサーキット走行会をバックアップするようになり、普段ストリートで使っているクルマのままでもサーキットスポーツを楽しむ事が当たり前となったのだ。 昭和61年から大赤字のまま見切り発車をし、バブル経済崩壊以降、車楽人アソシエーションに唯一残ったサーキットイベントは、バブル経済にも失速することなく順調に業績を伸ばしていった。 出版社との協力関係に助けられ、92年以来凍結していた自身のレース活動を97年から再開した事もあって、サーキットのみとなったクルマサークル活動が加速度をつけて活発になる。再び「巨大クルマサークル」の構想が蘇ってくる。もともとは1万人が1万円ずつ出し合って、皆んなのサーキットを作ろうと発想したところが巨大クルマサークルの原点なのだから、それは当然の成りゆきなのである。 10年近くの時を経た「巨大クルマサークル」構想は、80年代とは全く違った発想になるとともに、マーケティングも極めて慎重なものになる。 「ヒトとクルマのNewBeing」つまり、人と車の新しい付き合い方。これは、今でも変わらない基本コンセプト。手段は雑誌、ビデオ、インターネット、ラジオなど。では何が、以前と違った発想なのか? |