2001年01月04日施行
第10条
モータースポーツと不景気とドライバー評価(その2)
97年ドリキンvsドラキン in Mew Circuit[ADVAN DRIVING LESSON]
[認められたいドライバー]
徹底的なイコールコンディションのルールを導入したワンメイクレースの関係者などからは非難されるかもしれないが、現実的にはマシン的にイコールコンディションのレースはきわめては稀である。もしかすると全くないかもしれない。完全なノーマルエンジンを用いるレースであっても、燃調を決するコンピューターを統一しても、エンジンオーバーホールされればエンジンポテンシャルは変わってしまう。マシンを全車レンタル化して完全イコールコンディションにしない限り、または大きく勝敗を左右するエンジンのオーバーホールまでレースオーガナイザーが管理しない限りマシンのポテンシャルを統一できないし、統一化することがレース業界のビジネス環境に経済的打撃を与える背景もあるだろう。しかしレースを多くの人たちの身近なスポーツとして定着させるために必要な課題は多い。苦労を重ねて、努力を重ねても勝利を手に出来ないままレース界を去った才能あるドライバー達が、果たして自分の身近な人達にレースへの参加を積極的に勧めるだろうか? 勧めるとしたら、潤沢な資金を持ち合わせる人に対してだけ。その結果、レース参戦を志すドライバー達にはますます経済力が求められ、まさに悪循環に陥ってしまう。レースに参戦する人の多くが経済力豊かな人であるならば、レースというモータースポーツが発展する環境はきわめて狭い範囲にとどまるだろう。そこに多くの人達の、一般大衆の共感があるだろうか。誰でも気軽に足を踏み込むことが出来るだろうか。モータースポーツは特別な世界、つまり敷居が高いもの(経済力を前提とした限られた人達だけの世界)にならざるを得ないのである。
固い話が続いてしまったが、こうしたレースの現実を踏まえて「ドライバーがテクニックを認めてもらう方法」を考えてみよう。これが実現可能なのであれば経済的に苦しむドライバーの多くは救われるだろう。まずは比較対象、レースのように現実的なライバルが存在する場合である。レースに参戦して勝つことはとても重要だが、実際には勝てなくても楽しいレースは存在する。「レースに参戦することの楽しみが見出せればよい」とか「レースの醍醐味が体験できればよい」というのは明快な参戦理由。レースで必ずしも勝つ事やドライビングテクニックを他人から認められたいと思わない方に第10条は不要。読み飛ばしていただきたい。
現実を踏まえてか、全く何も知らないままでか、とにかくレースに足を踏み込む事を決意したドライバーがいるとしよう。まず必要なのは自分のドライビングテクニックの客観的評価を受けること。自分のクルマでサーキット走行会に参加し、納得のできるタイムが出たとする。走行会でも速いクルマにはお金のかかる現実がある。最新型の大排気量スポーツカーの方が旧型のミドルクラスより速いのは明白だし、スリックタイヤや最新設計のSタイヤを装着すればタイムアップするのは当たり前。しかしライセンスレースに参戦するならば、車種や排気量によるマシン選択の限定があり、もっとも難解な独自のレースノウハウが存在する。エンジンチューニグレベル、装着できるタイヤは表面上統一されるが、モノ(道具)に頼っただけの自己満足的速さでは決して勝てない。経済力があるなら構わないが、限られた予算の中で納得できる結果をライセンスレースで残したいのならば参戦を早まってはいけない。ただし誤解のないように説明しておくが、サーキット走行会に持ち込むクルマに大枚を叩いてチューニングを施し、高性能タイヤを装着してトップタイムをマークする自己満足よりも、建て前上でもイコールコンディションが保たれるライセンスレースで自分を試したい、ドライバーとして公式の実績を残したいと思う方もたくさんいるかもしれない。確かにその通りなのだが、ナンバー装着された高性能車はレーシングカーと比較してきわめて高額なリセールバリューがあり、日常生活において高性能スポーツカーやチューニングカーがオーナーたちに様々な至福の時間を与えてくれることは見逃せない事実なのだ。あわててレース用車両を買わなくともナンバー付車両で学べることは山ほどあることを理解いただきたいし、ナンバー付車両にはマーケットがあり、社会的必然性がある点でナンバー装着されない競技専用車よりも有用な点が多いということは無視できない。