2001年3月23日施行
第19条
才能があるならどうしよう?
99y Alfa Charenge in TC tsukuba Course2000
[ドライビングを楽しみ続けること]
さて本連載の目的はドライビングの才能など関係なく、読者の皆様に「ドライビング」を楽しんでいただくこと、運転上手になっていただくこと、もしかしたら本書をきっかけにレーシングドライバーとしてデビューする人がたくさん出てくれば、などと考えている。「才能が必要か?」という大げさな疑問を投げてたりするけど、才能がある方には日の目を見て欲しいし、才能がなくても「ドライビング」を楽しんで欲しいと本気で思っている。具体的な「ドライビング」解説に入る前に、読者の皆さんを失礼ながら「才能ある人」と「才能ない人」に分けて一度締めくくってみよう。
「才能ある人」というのは、「ドライビング」テクニックをすでに発揮している人。峠道やハイウェイに夜な夜な出没している人、サーキットに通い詰めている人、レーシングカートで抜群のコーナリングセンスを身につけている人、2輪での経験を基にスピード感覚や動態視力が抜群な人、とにかく多くのクルマ好きから一目置かれる存在感ある人、走り方やクルマの強烈な個性で目立つ人・・・
才能があるというのは行動の結果として現れる事がわかるよね。何ごとも思う事から始まり、思う事がアクションを起こさせる。結果としてさまざまな才能が花開く。その結果日本でも「ドライビング」「チューニング」「カスタマイズ」「モータースポーツ」とカテゴリーを問わないクルマ文化が形成されてゆく。「チューニング」「カスタマイズ」は別物というのが一般的な認識だけど、すべて「ドライビング」で括っていいと思う。簡単に言えばヘタクソが乗ったら台無し、という点で共通なのだな。いくら素晴らしいチューニングを施されたクルマでも「宝の持ち腐れ」と言われたらシャクだし、抜群のセンスでカッコいいエアロを身にまとったクルマでも「ドライビング」の基本的環境であるルール・マナーが駄目だったら、ただの「ヤンキーにいちゃん」や「マルソウ」と勘違いされてしまう。意外と思われるが、筆者はエアロまとって、車高ベタベタのハイソカーをカッコいいと思う事もある。ややこしくなるので「ドライビング」の話に絞ろう。
才能のある人、すなわちアクションを起こした人には思い続けて欲しい。年をとってしまった、経済的な壁や家庭の事情、病気やケガなど色々挫折の理由があると思う。でもきっとクルマが嫌いになってしまった人というのは僅かしかいないのだと思う。クルマより環境が嫌いになってしまうことが多いだろう。今は挫折してしまった人が行動し続ける環境や手段がないだけ。筆者の主宰するドライビングスクールにチーム「ヒフティーズ」というグループ(筆者が勝手に命名しているのだが)がある。その名のとおり、50歳を超えた人たちの集まり。皆ドリフトやサーキットタイムアタックに燃えている人たちだ。何も皆がそろってポルシェに乗ってくるのではない。ロードスターやシルビアやスープラやGT−Rなど、年齢とは無関係なクルマで楽しんでいる。「ドライビング」を楽しむ方法はたくさんあって、50歳を超えてから才能を開花させても不思議はない。才能は思う事から始まり、思い続けることで発揮されるものなのだ。