2001年6月16日施行
第27条
自らを制することを忘れてはいけない
スピードレンジが上がって行くほどに、万一の時の衝撃や損害は大きくなる
出来ることなら説教じみたことは書きたくないのだが、ドラテク皆伝などと大袈裟なタイトルを付けてしまったので許して欲しい。「ドライビング」の意味はドライバーがクルマを自らの手足でコントロールすること。タイヤグリップが上がるほどにクルマのコーナリングスピードが上がるため、限界スピード領域ではクルマがドライバーを選ぶようになる。だから腕を磨きたい方にハイグリップタイヤは勧めない。失礼ながら「キチガイに刃物」で危険だからだ。もちろん自分の責任でドライビングを楽しむのだから、怪我するのも、死んでしまうのも勝手だが、サーキットでも峠のワインディングロードでも、他人に迷惑をかけてしまう可能性がある。肉親にも心配をかける。世間に大衆レベルの参加型モータースポーツが受け入れられなくなる可能性だってある。だから速く走りたいなら、運転が上手になりたいなら、怪我や他人への迷惑のリスクの小さい速度域で、かつ安全な場所で練習するべきだと思うわけだ。「タイヤを知ること」の最後に「ドライバーがハンドルをきれば勝手にクルマは曲がってゆく」と書いたのは、タイヤのグリップレベルがきわめて高いレベルの場合の話。ハイグリップタイヤの装着は、一般的なドライビングレベルのドライバーでは危険な速度域でコーナリングすることになる。テレビゲームならば激突してもすぐに復活できるが、実車ではたいへんなこと。ハイパワーなエンジン、ハイグリップなタイヤ、優秀なサスペンションキットが手軽に手に入り、運転免許証さえあれば、誰でもハイスピードドライビングを堪能することが出来る。まさにテレビゲームのようなバーチャル感覚に近い。高性能なクルマは一面的には安全であるが、反面それをドライビングする人の自制心を要求する。ピストルを手渡された時と同じことだ。「ピストルを持っていればいつでも人殺しが出来る。誰も怖い奴なんかいない」と考えるのか「何があってもトリガーを引いてはいけない」と考えるかは、本人次第なのである。誰もが「ピストルで撃たれたら死んでしまう」と思うように「コーナリング限界を越えたら死んでしまう」という、大袈裟なくらいの認識を持つ必要がある。いかなるスポーツにも基礎訓練が確立されているが、「ドライビング」においては基礎訓練が確立されているとは言い難い。社会的規制緩和が「人の心の規制」まで緩和してしまうなら、「ドライビング」を楽しむための基礎訓練をドラテク皆伝では提案したい。 |